「遠き落日」 読書感想 ① 

昨日、メインブログに「野口英世記念館」について書いていたら、

この本のことを思い出しました。

 

遠き落日(上) (講談社文庫)

遠き落日(上) (講談社文庫)

 

 

 

遠き落日(下) (講談社文庫)

遠き落日(下) (講談社文庫)

 

 

故人となってしまった、渡辺淳一先生。

先生は、もともとはお医者さん。

なぜ、先生が野口英世について書こうかと思ったかというと、

大学の医局にいたときに、小学生向けの偉人伝などの伝記などでも超有名な野口英世だけれども、

同じ医師として、医学界における野口英世の功績はあまり取り上げられていないのは不思議だし、

野口英世への、医学界における評価も同じ医学界にいる身としてはあまり聞かない・・医局の先輩に聞いても

「ああ・・野口英世、彼の功績には疑問もあるしね・・」と語られたという。

そこから疑問をもち、書き始めたという。

先生は実際に、猪苗代町にある野口博士の生家にも訪れていますし

取材をされています。

 

野口英世は世界的な細菌学者である。

しかし、不運な学者であるとも書かれてありました。

野口は、アフリカのガーナのアクラで研究していた黄熱病に自らがかかってしまい、

亡くなってしまうのですが、

(遠き落日・・・その題名からして、野口英世が亡くなった地の遠いアフリカの大地に沈む夕日のことをさしていると思いました)

黄熱病というのは

それは、「ウイルス」で細菌とは大きさも違い、当時の顕微鏡の精度ではとうていは見つけることが出来なかったものです。

そして死に間際 野口は「何が何だかわからない・・」と言って亡くなります。

野口は、研究のさなか、ストンと時代の穴に落ちてしまったようなものだと

書いていました。

 

ノーベル賞やその他の大きな賞を取れるか取れないか ということは

本人の努力もさることながら、こうした顕微鏡などの医学界を支える実験機器の進化に

運よく出会えるかどうかでも左右されるものだと思いました。

 

そして、医学界の世界には、花形の分野というものがあって

野口博士が生きた時代の花形は、細菌学。

現在は「がん治療」の分野だと先生は書いていました。

また、野口博士が、留学先をヨーロッパではなく、アメリカに行ったことも

野口博士を引き立てる環境でよかったと書いていました。

当時、ドイツなどのヨーロッパ(細菌学の権威、コッホ博士など)

に行くのが主流でしたが、

当時のヨーロッパは戦争もたびたび起こっていた。

その点、アメリカは戦火にまみえることもなかったし、

ロックフェラー財団など石油で大きく儲けたところなどが大学に出資し、

潤沢な研究資金を科学者たちに提供できる財力もアメリカはもっていた。

 

またアメリカの医学界というのはヨーロッパなどの貴族社会と違って、身分や出自など関係なく、

能力のある人物を高く評価する雰囲気だったこともよかったとあげています。

 

当時の日本は明治時代で身分制度そのものはなくなっていたけれども 

以前として身分の違いで学問をするチャンスが決まるという空気があり、

医学の世界においては、

平民出身の野口では到底、入っていけない、世界だったとも。

 

 

アメリカの研究における自由闊達さ 能力主義

日本の閉鎖的な学閥

 

それは今でも色濃くあるような気がしますね。

 

発光ダイオードなどの研究でノーベル賞を受賞した中村先生も

日本では異端児扱いでしたが

アメリカに行き、そこで見事に花を咲かせたとも聞きます。

 

中村先生のおかげで、信号機がとてもよく見えてよかったです。

信号機を見るたびにそう思います。